(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

「朝食、昼食、そして夕食」温かく、どこか寂しげな日常の"食事"を切り取る

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ひさびさにブログを再開しようという気になりました。イブだからといって特に予定も入れていないので何気なく見た映画がとても面白かったのでご紹介。2010年のスペイン映画「朝食、昼食、そして夕食」です。

 

舞台はスペインのサンティアゴ•デ•コンポステーラ。歴史ある街で、エルサレムバチカンと並んでキリスト教三代巡礼地に数えられます。この街では1日に50万食の食事がつくられるそうです。つまり、その分だけ食べる人のドラマがあるのです。本作は何気なくてつい見逃しそうだけど、じつはとても大切な日常のシーンに注目した映画です。

 

原題は「18 COMIDAS」で「18の食事」という意味。夫と息子を送り出すために作る朝ごはん、遠くに住む彼女を迎えるために用意したランチ、意見の合わない父と息子がほっとひと息つける出前の中華、ゲイであることを隠す恋人どうしの楽しげな調理風景…「食」を取り巻く様々な場面は、それぞれの人生の重大なターニングポイントに発展していきます。

 

この作品は基本的に誰かが誰かと食事を共にし、会話をするシーンが肝になってきます。しかも同じ空間にいるのは大抵、母と息子、父と母、姉と妹、いとこ…もしくは恋人どうし、という具合に必ず愛が関わってくるわけです。となると、やはりそこには人間の温かみが染み出してきます。だってそこに愛情があるんだから、冷たかったり、悲しかったり、ということには直接繋がらないはずです。しかし、この映画にはとても強い孤独を感じます。たとえ愛のある食事のシーンだったとしても、切ないのです。もしかしたら、愛があるからこそ、かもしれません。お互い好きあってるのはわかってたのに繋がらなかったとか、待っても待っても恋人が来ないとか…どこかで「触れ合いたいのに触れ合えない」「理解したいのに理解しあえない」という気持ちが見え隠れします。その象徴たるエピソードはゲイのカップルの話でしょう。愛は理屈を超えた概念だからこそ、思い通りに行かず苦しむことになるようです。

 

余談ですが、僕は人が食事しているのを眺めていると時々、切ない気持ちになります。たぶんこの感情は、口をモグモグしている動作が動物のそれとなんら変わらないものであること、食事が生きることと切手も切り離せないものであること、ということに関係してくると思います。まだ自分でも理由がはっきりしてません。僕自身食べることは大好きだし、誰かと一緒に食べるのがごはんを一番おいしくする調味料だと考えてるんですけどね。人が食べてるのを見ると切なくなります。「朝食、昼食、そして夕食」でも全く同じ感情を抱きました。映画を最後まで見ても、やっぱり理由はわかりませんでした。なんだか、そこのモヤモヤばっかりが残る映画でした。ほかに同じこと考えてる人がいたら楽しい(?)のに。