(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

「僕らはみんな生きている」

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バブルで日本の経済は絶好調、カネにモノ言わせて日系企業は海外の資産を買いあさっていました。自分はまだその頃生まれていなかったけど、ジュリアナ東京で肩パッドのお姉さんが踊り狂っている映像を見るだけでも、みんな調子乗ってたんだな、ということはわかります。あしたはきょうより豊かで幸せだと無邪気に信じられた日本で最後の時期だったのかもしれません。

 

当時、日本は官民一体となって海外ODAを積極的に行なっていました。そこで日本のサラリーマンたちは現地の特攻部隊として、貧しく何もかもが足りない国で一生懸命営業しました。時には役人に取り入って黒い関係を結んだことでしょう。でもそんなに頑張って何をやったかって、自分たちの企業の利益になることしかやってません。純粋にその国の発展のために尽くそうと思っていた人もたくさんいたでしょう。しかし、日本の海外ODAのやり方が我田引水だという批判を受けてきたのは、歴史的事実です。

 

そういう日本人がいちばん調子に乗っていた頃のサラリーマンを、バブル崩壊後の冷静な目線でイジメまくったのが「僕らはみんな生きている」です。

 

主人公は4人の駐在サラリーマン。東南アジアの小国で、政府高官に賄賂を送ったり、媚を売ったり、とにかくどんな手を使ってでも案件を取ろうと必死に働いていました。そんな彼らは突如蜂起したゲリラ軍と政府軍の戦いに巻き込まれ、ジャングルに逃げる羽目になります。二本のサラリーマンがスーツ姿で泥まみれになりながらジャングルを徘徊する姿はシュールで、ちょっぴり笑えます。彼らは現地人たちを「土人(正確にはなんだったか忘れた)」とかなり見下していたので、因果応報です。ので、悲壮感はありつつ、いい気味にも思えるんですね。ここらへん、やっぱりこいつら調子乗っているな、という感じです。だけど、いまは中国や韓国に押され気味で日本の企業にも元気がないから、すこし切なくも思ったり。時間が経って醸し出される新しい味わいですね。

 

過酷なサバイバル経験を通して丸くなってきた日本のサラリーマン軍団は、物語の終盤、森の奥地で出会った村人たちと、ほとんど会話が通じないにもかかわらず、心を通わせます。なに言ってるかわからないけど、なんか楽しい、向こうも嬉しそうにしている。牧歌的な彼らのおおらかさにしばし心を許します。しかし、それもつかの間、政府軍が村を爆撃して、彼らを虐殺してしまいます。あまりに酷い現実に打ちのめされるサラリーマンたち。富田ら3人はそんな状況からも命からがら抜け出します。しかし、中井戸を一人残して。

 

3人は一度はそのまま帰国することを考えますが、結局、中井戸を助けに反政府ゲリラのアジトに「商談」を持ちかけます。政府軍の無線を盗聴できる機械と中井戸の身柄の交換を条件に交渉を持ちかけますが、なかなかうまくいかない。万事休すかと思われた時、若手の高橋がヤケクソになって叫びます。「おまえたちは天皇の顔を知らなくても、ソニーや三菱の商品を知っているだろう。みんな日本のサラリーマンが全人生を賭け、命削って戦ってきた成果なんだ。でも、いくらそんなことにエネルギーを注いだって、定年退職後には何も残らない。日立で働いていた親父は毎年300通の年賀状をもらっていた。それが、定年後には7通だ。親父は273通のために全てを捧げてきたのに」…と。悲しすぎます。でも、これが現実なのかもしれません。日本人は、結局会社の肩書きとそれが書かれた名刺でしか生きられないし、戦えない。極端ですが、ジャングルに放り込まれたら、そんなの意味ありません。豊かさを追いかけて一生懸命「仕事」に精を出してきた日本人が、バブル崩壊にぶち当たって感じた絶望や喪失感を、この映画は背負ってるんじゃないでしょうか。戦争に負けて全部失った日本人が、やっとの思いで取り戻した自信を再び失うことになった辛さ。たいていの庶民は会社にせんぶ捧げてやっと「普通」の人生を手に入れられるんだという、どうしようもない現実。それでも「僕らはみんな生きている」んですね。諦めにも近い現状肯定が、妙な明るさをもって描かれている、ちょっぴり意地悪な映画でした。