(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

好き好き大好き超愛してる。/ 純粋すぎる愛のはなし

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 ブログのタイトルに「えいがのはなし」と付けておいて映画以外の話をするのは自分でもどうかと思うけど、特に人に見せるつもりで書いてないので(もちろん見てもらえたら嬉しい)気にせず舞城王太郎作の純愛小説について感想をまとめたい。

 思い返せばゼロ年代は「電車男」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」のように、"モテないオタク"とか"不治の病"とか到底超えられそうにない壁を設け、それを越えようとする男女のプラトニックで美しい恋愛を描いた小説やケータイ小説、映画が流行った。このジャンル自体を否定する気はないけど、なんとなく紋切り型で陳腐に思える。

 この作品はそうした純愛モノ、特に難病純愛映画に対するアンチテーゼになっている。内容を知れば明らかである。この本は恋人が不治の病に侵された小説家の話が3部作構成で綴られ、その彼が書いた(と思われる)純愛短編小説3本があいだに挿入される形でオムニバスとしてまとめられている。ぜんぶ男と女の物語。女が病気になったり、戦いで危機に瀕したりして死ぬ。ヘタしたらつまらない恋愛小説で終わっていただろう。だけどこの小説はちょっと違う。引き込まれる独特の文体は彼の作風らしい。加えて、身体の中で虫が繁殖する謎の感染症AZMAとか、適合する男性パートナーに肋骨を握ってもらうことで神と戦う女性の天使たちとか、なんだか不思議な設定のオンパレード。

 「好き好き大好き超愛してる。」はちょっとぶっ飛んだこの世界観で、ただひたすらに「愛と死」を語るのだ。何が何やらわからぬうちに読み進め、終わってみると面白い余韻が残った。バカなぐらいストレートに、青臭く、実直に描かれた純愛の物語は、あえて「セカチュー」のような映画に設定を重ねている。この小説は愛を物語ることとはどういうことなのかを表現しようとしてるんじゃないか。簡単に人が死ぬ恋愛小説を、大切な恋人を見送るしかなかった人が書く。柿緒の死を小説にしていいのか、何度も小説の中で柿緒を殺していいのか、それって愛なのか。主人公はひたすら悩む。おそらく大事なことを言葉で説明するのは難しい。たとえば「なぜ人を殺してはいけないのか」に理由付けをしてしまうと嘘くさく聞こえてしまうみたいに、愛も「愛は愛だ」としか語れない。そういう風に言ってるように感じた。

 自分の中でもこの小説を読んだ感想を完璧にはまとめられてない。文章もメチャクチャになってしまった。だけど、とにかくそういうメタ的で重層的な構造と、作品全体から放たれるギラギラしたエネルギーみたいなものに感心したことは記録しておきたかった。

「愛は祈りだ。僕は祈る」

という言葉が本書の初めにあるけど、これにすべてが凝縮されてると思う(投げやり)。また時間をおいて再読しようかな。