(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

世界から猫が消えたなら / じぶんの人生に必要なもの

f:id:StarSpangledMan:20160524131010j:image
「世界から猫が消えたなら」の主人公には名前がない。"ぼく"目線による人生の振り返りがこの作品の骨子になっている。もし1日だけ寿命が伸ばせる代わりに、じぶんの人生の大切なものが世界から消えてしまったら、その引き伸ばされた生に価値はあるのだろうか?平凡で特に大きなことを成し遂げることもなく人生を終えてしまう"ぼく"がその平凡な人生を振り返り、じぶんにとってなにが大切でかけがえのないものなのかに気づくちょっぴり哲学的な作品だ。

 まず全体を俯瞰してみると、少々クドイというのが正直な感想。余命モノというテーマ的に避けられない部分はあるけど、やたらと人や動物の"死"が連続し、それについて登場人物が感傷的なリアクションを示し、号泣するという構図が非常に多い。というか全編がそのパターンで貫かれている。場面場面の美しさに対しては肯定的ではあるものの、何度も同じことを繰り返されると観ていて飽きてしまう。"生きる"ことの大切さを表現するため、その対極にある"死"を強調する意図はわかる。しかし、あまりにもワンパターンで芸がない。"ぼく"と"彼女"がアルゼンチンで偶然出会った旅人と絆を深めていくような場面をもっと見たかった。あといちいち登場人物が泣くのもしつこい。同じ反応が何度も続くと涙に対する感動も薄れてしまう。

 "ぼく"目線の回想がストーリーの軸である以上、時系列のシャッフルが作中に多い。しかしおかげで作品全体のテンポが乱れている。同じ出来事を違う目線から何度も描く。しかもその内容の予想がつきやすいもので、これまたしつこく感じられる。中だるみで観ていてテンションが下がってしまったのは否めない。

 ストーリーの解釈について。自分はこの作品の軸を"刹那に生きることの大切さ"だと捉えている。"ぼく"が旅先で遭遇し、ある種羨望の眼差しを向けていたバックパッカーや、"ぼく"の父親の仕事が時計であること、そして大切な人や動物との出会いや別れが、そのすべてに集約される。いまを生きる一瞬が楽しくなければ、その人生に意味なんてない(もちろん、苦しさに耐えなければならない時もある)。電話をキッカケに知り合った大切な女性との関係が無になってしまったら、特別な友情を築くツールになった、そして思い出がたくさん詰まった映画が世界から消えてしまったら、お父さんがぜんぶを捧げた時計がなくなったら、お母さんが愛した猫が世界から消えてしまったら。いまを生きるためにかけがえないのものが"ぼく"にはある。だからそれを失ってしまったら、この世界に"ぼく"がいる意味はない。

 「世界から◯◯が消えたなら」のifの世界を目撃するのが主なあらすじの本作。誰かが死んだ時、世界から消えるのはその人だけで、ほかはなにも変わらない。世界は歩みを止めない。すべてふだん通りだ。だけど、誰かが死んだ時、その人が見ていた世界、その人だけの世界は消えてしまう。「みんなの世界」はずっと続くけど、「(その人が見ている)じぶんだけの世界」は永遠に取り戻せない。"ぼく"は若干妄想癖があって、特殊な世界を見ているけど、彼が死んだらそれも消えてしまう。それってすごく悲しいことじゃないか。この映画は「みんなの世界」とを 「じぶんだけの世界」を行き来する作品なんじゃないかと思う。

 最初に触れた通り、くどさが目につく作品ではあった。だけど、シネフィルの友人ツタヤが"ぼく"のために必死になって棚をひっくり返して最期の映画を探してあげる場面とか、父親が泣きながら手を震わせて写真を撮る場面とか、どうしても心にズキズキくるシーンもあって、正直ちょっと泣いたりも…だから悪い映画ではないと思う。さいきん当たり続きの邦画だけど、この作品も間違いなくその中に入ると考えていい。