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えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

「シン•ゴジラ」レビュー後編 / 最後まで日本を諦めない"愛国"映画

東宝 シン•ゴジラ ゴジラ 庵野秀明 樋口真嗣 長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 怪獣

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「シン•ゴジラ」レビュー前編(http://starspangledman.hatenablog.com/entry/2016/08/03/091132)では、冒頭からゴジラの上陸、東京襲撃までのあらすじを追いながら、気になったポイントについて感想を書いてきた。レビュー後編では、物語の折り返し地点となる政府機能の立川移転からクライマックスまでの流れを細かく見ていく。長くなりそうだし更新停滞は避けたいので、総括的な話はまた別の記事にする予定。

 

ゴジラの東京襲撃という悪夢のような夜が明け、後半は始まる。ニュース映像によって政府首脳は官邸脱出に失敗しゴジラの熱線で死亡したこと、東京都心はゴジラによる放射能汚染と熱線で起こされた火災によってほぼ壊滅したことが明かされる。政治的空白を避けるため、激しい押し付け合いの中で臨時の総理大臣に選ばれたのは、派閥争いでのし上がってきた族議員。政府機能も立川に移された。そして矢口は巨災対での活躍を評価され、臨時体制の政府においてゴジラ対策に関するほとんど全ての指導権を握ることになる。また、赤坂も臨時の官房長官に任命された。ボロボロになった政府の屋台骨を任されたのは、若きリーダーと、巨災対に所属する官僚機構のはぐれ者たちだ。緊急事態でふだん目立たなかった者たちにスポットライトが当たるこの展開は、とてもオタク心をくすぐるものだろう。ここにきて日の当たるときがやってきたのである。

 

ゴジラは東京駅前で不気味な沈黙を続ける。熱線発射によるエネルギー放出で休止状態に入ったのだ。活動再開した巨災対は矢口プランの実現に向けて全力を尽くす。その中で見えてきたのは、ゴジラが生態系の頂点に立ち、もはや食事すら必要とせず、まわりに空気や水さえあれば生きていける究極の生命体であること、そしていずれは繁殖、飛行して世界中に拡散するおそれがあることをつき止める。その恐ろしさに言葉を失う巨災対のメンバーたち。さらに追い討ちをかけるように、国連核兵器の使用によるゴジラ撃退が提案、可決されたというニュースが飛び込む。里見臨時総理もただそれを受け入れることしかできない。ここで片山臨時外務大臣が怒りと悲しみ、絶望の混じった涙声で怒鳴り、赤坂臨時官房長官が作中最初で最後の狼狽えを見せたのが印象的だった。70年前、多くの国民を殺した核兵器を、まさか首都に落とすなんて。それが国連の名の下にアメリカの主導で行われる。あまりに残酷で、屈辱的だ。しかし、現状においてこれ以上の手段も想定できないのである。"現実的"な判断として核兵器使用以外の選択肢がないのだ。ここで里見のノンビリしたような、頭の鈍そうなリアクションに大いにイラつく(やっぱり年功序列と派閥争いでのし上がってきただけだもんね…と)のだけど、じつは2回目以降の鑑賞では、このおっとりした性格が、国家存亡の危機においてドッシリ肝の座った大物の風格に感じられるのだ。みんなが右も左もわからず混乱する中、彼だけは達観したかのように落ち着いている。非常に頼り甲斐のある人間なのだ。僕がシンゴジラでいちばん好きなキャラは間違いなく里見臨時総理だ。平泉成らしい存在感である。

 

矢口たちも大いにうろたえる。多くの人の指摘通り、安田のリアクションは注目だ。「そりゃ選択肢としてはありだけどさあ…選ぶなよ…」という様々な感情が入り混じった複雑なセリフ。高橋一生の演技が本当にすばらしい。この提案を受け入れたニュースを聞いた日本人はどのような気分になったのだろうか。彼のセリフは観客や作品世界内における世論を代弁している。象徴的な場面である。

 

また、東京への核兵器使用の決定に絶望する気持ちは、日系3世のカヨコもまた同じであった。これまでアメリカ政府のメッセンジャーとして高飛車に振舞ってきた彼女の態度が、ゴジラの東京侵攻、それに続く国連核兵器使用決定を機に明らかに変化していく。70年前のトラウマが東京で再現され、またヒロシマナガサキの悲劇が繰り返されようとしたとき、カヨコの中の日本人の血が蘇るのである。アメリカ社会においてトップエリートの道をひた走ってきた彼女が少なからず持っていたであろう日本人としてのアイデンティティが、ここにきて目覚める。日本を抑圧するアメリカの象徴として描かれてきたカヨコ。しかし彼女は"核兵器"というワードの登場によって180度違った面を見せ、「アメリカ人」であるがゆえに、外部の目線から自らが写し鏡となって、「日本」を浮かび上がらせるのである。ひとりのキャラクターにこれだけの役割を担わせ、ストーリーをすっきりまとめる手腕に感動。そしてそれを見事に演じきった石原さとみも賞賛すべきであろう。

 

前半の記事で少しだけ触れた話、矢口と赤坂のロマンチストvsリアリストの対立はここで光ることになる。両者とも完璧主義者であり、国連の核使用決定に納得がいっていないことに異論はないと思うけど、理想主義者である矢口は、国連の核使用決定に全力で反対し、まだまだやれる道はあるはずだと信じている。矢口プランの完成は絶対だと考えているようだ。政界に身を置く理由を「白黒はっきりしてきて性に合っている」とする彼にとって、赤坂のような折衷案をとることは難しい。ギリギリまでパーフェクトなゴールの実現を目指すのである。対して、赤坂は東京への核兵器投下への深い絶望の気持ちを隠しながら、それでも、ゴジラ戦後の未来を見据え、国際社会の支援を得て復興するためにはこの道しかないと信じている。じっさい、赤坂の考えの方が現実的だし、いまある情報を総合的に勘案すれば、この選択に間違いがあると責めることはできないはずである。おそらく官僚出身である彼らしい考え方かもしれない。どちらも間違いではない。矢口も赤坂も正しい考えを持っている。シビルウォーのスティーブとトニーのようだ。

 

ゴジラの東京都心破壊、そして国連核兵器使用の決定。敗戦のショックすら超えそうな絶望的状況。そんなどうしようもないときでも、生き残った政治家たち、巨災対のメンバーは諦めず最後まで戦おうとする。これまでゴジラにやられっぱなしだった日本が、ついに全精力をつぎ込んで反撃を開始する。本作で最高に燃える場面。例の巨災対のマーチが心地よく耳に響く。

 

牧教授の残したメッセージが解読された。血液凝固剤製造のため、官僚たちが電話越しに頭を下げ、全国を走り回る。莫大な計算量が必要な際は、スーパーコンピューターを所有する世界中の研究施設に要請を出した。核兵器なんて使わせない。俺たちは書類とハンコで戦うんだと言わんばかりに、泥臭く、しかし最も日本人らしいやり方でゴジラ対策に力を尽くす。書類印刷のために大量のコピー機とパソコンが置いてあるのも細かい描写で楽しい部分。映画前半では、あまりに巨大で高度に構築された官僚社会の機動性のなさ、堅苦しさが仇となる部分はあったのだけど、後半部分では組織で動くことの別の面が描かれる。すなわち、チームワークの強みである。巨災対一人ひとりの力は微々たるものだ。しかしながら、みんながその知識と才能を持ち寄り、組み合わせることで、ひとつの大きな成果を生む。ムラ社会から抜け出せないとか、いつまでたっても自立できないと批判されがちな日本人。それたしかに事実だけど、目線を変えればそれは大きな強みなのである。この発想の転換が気持ちいい。優秀な人材はたくさんいる。それを動かし、活用するのが極端に下手なのだ。希望を完全に捨てる必要はなくて、出世とかメンツとかくだらないこだわりを捨て、バランスのとれたリーダーシップのもと組織で動けば、日本人もまだやれるのだ。そう、「日本人はまだやれる」が最後に明かされる本作のテーマである。裏を返せば、いまの日本はその真価を発揮できていない。でも、だからといって諦めはいけない。やれることを探して頑張らなきゃ。そこから全てを始める必要があるのだ。

 

ラストに言及する前にほとんどまとめになってしまった。話を戻してヤシオリ作戦の流れを追ってみよう。チームワークの輝きはまだ続く。血液凝固剤の完成が、国連の設定したタイムリミットまでどうしても間に合わない。そこで泉の力を借りて、日本は核兵器使用の延期工作を試みる。

 

登場以来、ラーメンの伸び具合を気にしたり、とにかく呑気なジジイにしかみえなかった里見臨時総理がカッコよく見えるシーンがやってきた。赤坂に「そろそろお好きなようにされたらどうですか」と促された総理は、ただ一言「で、どの書類に判子を押せばいいの」と返す。もちろん、彼なりにいろいろ思うところはある中、クヨクヨ悩んだりせず、一国のリーダーとして覚悟を決めたように一言つぶやくのである。そこには優秀な部下たちへの圧倒的な信頼がある。一見流されているだけのように見えて、じつは理想的な上司なのだ。そして、影ではフランス大使に頭を下げていた。派閥争いでのし上がった井の中の蛙なんかではない。やはり長い人生経験で培った、肝の座った落ち着きと責任感は、並大抵の人間ではかなわないものだった。

 

もうひとり、決断をする人間がいる。カヨコ特使だ。彼女はパタースン家の跡継ぎとして、40代で大統領も夢ではない完璧な経歴を歩んでいた。しかし、日本の未来を救うため、3度目も核兵器をこの国に落とすことなんてできないと、自分の夢を代償にしてホワイトハウスに働きかけるのである。おそらく飛行機で話している相手は父親であろう。一瞬、瞳の中に涙を浮かべ、意を決したように立ち上がる彼女の姿に感動した。矢口たちの情熱は、遠い海の向こうで育った女性の心を動かし、また、その中に眠っていた故郷の魂を呼び覚ましたのだ。最終的に、矢口プランは米軍の協力を取り付けることにも成功する。

 

矢口プランはヤシオリ作戦と名付けられた。唐突すぎて何のことやらわからなかったのだが、八岐大蛇を退治したヤマトタケルの伝説に由来したネーミングである。ここから先の展開はギャグすれすれだし、宇宙大戦争マーチなど場面的に若干ミスマッチだと感じているので、個人的には違和感も否定できないのだけど、非常に大事な場面である。

 

ゴジラの動きを鈍らせるため、無人爆撃機によって挑発し、体力を消耗させる。合理的でよく練られている。そして周囲のビルを爆破し、上からゴジラに叩きつけることで動きを封じる。あまりに豪快で言葉を失ってしまったが、観客の破壊欲を刺激する、迫力あふれる映像だ。三菱地所の経営が心配になる。じっさいにその損害を計算したネットの記事によると、これでもつぶれることはないようである。正直、ゴジラより倒すのが難しそうだ。また、無人在来線爆弾の響きにウットリした人は多い。京急の仇を取るJRに注目である。最後は経口投与による血液凝固剤の注入。あのビジュアルはおそらく福島第一原発事故の放水車による原子炉冷却をモチーフにしているのであろう。露骨にあの記憶を想起せざるをえなかった。矢口自体、事故当時に前線で身を挺して被害を最小限に抑えた吉田所長をモデルにしているのは明らかだから、当然と言えば当然だ。吉田所長があそこで現場を放り出していたら、東京も人が住めない土地になっていたかもしれない。そんな過去を思い出させる作戦内容だった。

 

ゴジラを倒すのではなく、動きを止めるというのも、非常に「らしい」オチのつけ方だ。ゴジラは大災害のモニュメントとして東京のど真ん中に居座り続けることになる。これからの世界はゴジラと共存していかなければならない。福島第一原発の自体が収まっても、廃炉自体にはあと何十年もかかる事実と重なる。我々は機能不全に陥った原発とこれからも共に生き続ける。目の前に見える形でそれは保存され、逃げ出すことはできない。最後まで「シン•ゴジラ」は311をトレースした形になっている。そして意味深なラストカット。これは大いに解釈の分かれる部分である。自分の考えた意味については、まとめ記事に書くつもりだ。

 

とりあえずあらすじはひと通り振り返り終えた。そろそろ5000字を越えようというボリューム担ってきたので、一旦ここで話を終えたいと思う。この映画が公開された価値、総括的な感想については、また今度べつの記事に書くつとりだ。