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えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

火花 / 全10話を振り返って

Netflix 火花 又吉直樹 ピース 吉本興業 お笑い

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Netflix配信の連続ドラマ「火花」を全話鑑賞した。初めは各話ごとに感想をまとめていたけど、最近になって停滞していた分を一気見したので、まとめて10話分の感想を書くことにする。

 

上に載せたポスターにも書いてある通り、「火花」に登場する徳永と神谷はあまりに純粋すぎた。純粋すぎて世の中ではうまくやっていけない。それこそ、他人に迎合するなんてできなくて、自分のフィルターを通して見た世界を正確に表現してのみ満足できるという、アーティスト気質の芸人たちである。そんな彼らの青臭い挑戦の日々を綴ったのが、まさしくこの「火花」であった。

 

熱海で神谷のライブを見て雷に打たれたような衝撃を受けた徳永は、ほとんど盲目と言っていいぐらい無心で神谷の背中を追いかけることになる。長年付き添ってきた相方ですらわかってくれない自分のこだわりとかお笑いに対する熱い想いを、神谷はすんなりと汲み取り、理解した。そして二人は根本の部分で共鳴している。口下手で人付き合いの苦手な徳永にとって、自分を素直にさらけ出せる場はおそらくお笑いのステージと、神谷と二人きり(ときどきマキも隣にいたけど)の時だけである。たぶん徳永にとって神谷は唯一無二の完全な自分の理解者であり、心安らぐ人であった。

 

しかしながら、徳永もどこかでその危なっかしいイノセンスにギャップも感じていた。全く妥協を許さない純潔さは身を滅ぼす危険も秘めていた。しかもそれは現実になってしまう。神谷は自分の好きなお笑いばっかりやって、他人に好かれようとする気が一切なかったために、借金まみれになってしまう。ある意味彼は子どもみたいに無責任だった。

 

一方の徳永は徐々に売れ始め、キャリアが軌道にのる中で、妥協を覚える。というかそうせざるを得なくなる。相方の目もある。好きなことばかりやっても食べていけない。だから段々とマス受けを狙ったネタにシフトチェンジしていく。ここは徳永の成長でもあり、同時にアイデンティティの喪失でもあった。自分をそのまま出せるからお笑いが好き、という面もあったはずだ。売れてるのに、なんとなく不満が残っていた。だから徳永は、神谷に自分が間違っていないこと、まだ芯の部分は変わってないことを確認したかった。けど、神谷の方から距離を取られてそれは叶わなかった。

 

さらに徳永を幻滅させることを神谷はしてしまう。「模倣はしない」と言っていたのに、髪型から服装まで徳永を丸パクリしてしまうのである。自分の好きなお笑いをやっているのに、自分を信じてきたのに、どんどん凋落してしまう厳しい現実の中で、神谷は自分を見失ってしまった。憧れの先輩の醜態をみて、徳永は怒り、悲しむ。

 

順調にキャリアを積み上げていたかのように見えたスパークスだったが、後ろ盾に見切りをつけられるとアッサリ転落。相方の結婚もあって、コンビは解散となる。純粋に笑いを求め、努力してきた日々は突然終わりを迎えた。ラストライブは涙なしには見られない。ふたりのお笑いへの熱すぎる愛が凝縮されていた。そして解散で夢を諦めた徳永の前に再び神谷が現れる。豊胸手術をした姿で。自分がわからなくなって、最後はやっめいいこととやっちゃいけないことの区別もつかなくなった。純粋を通り越してただのアホである。どうしてこんなことしちゃったんだと泣き叫ぶ神谷はまるで幼稚園児だった。しかし徳永が憧れ、追い続けた神谷の魅力は結局のところここにある。誰にもできないことをやってしまう。吹っ切れた純粋なアホであること。そんなの普通の人間にはできない。だから爽快で、勇気をもらえるのだ。自分の可能性を、彼に見るのである。

 

本作の最後は、徳永が再びお笑いへの熱意を回復ところで終わる。屈託のない笑顔を取り戻し、自分が楽しいと思うことを追求する神谷をみて、憧れの先輩が戻ってきたことを確信したのだ。誰になんと言われようとも好きなことを追求する、そんな希望に満ち溢れたラストだった。

 

結局のところ「火花」とはなんだったのだろう。もちろんコンビ名の「スパークス」は「火花」の英語である。ふたりの危険すぎる純粋さのことだろうか。それとも、バチバチと音を立て燃えがり、一瞬で消えてしまう彼らの青臭い青春時代のことであろうか。いろんな解釈の余地がある。

 

とにかく、簡単にまとめてしまえば徳永と神谷のアホさ、引くぐらいの真面目さ、子どもっぽさがとてつもなく愛おしく、同時に憎たらしい物語であった。観客の自分も彼らのようなピュアさをまだ心の中に秘めていると信じたいけど、本当はそんなものとっくの昔に失っていて、社会に順化することを覚えてしまっているのかもしれない。そうなると彼らが大好きだし、一方で大嫌いだと思えた。そういうアンビバレントな感情を引き起こす、複雑で重層的は作品であった。傑作だと思う。