(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

アイアンマン / MCU神話の始まり

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これから定期的にMCUシリーズの作品のレビューを順を追って書きたい。1本目はもちろんシリーズ1作目にして今なおトップレベルの人気を誇り続ける「アイアンマン」である。

「アイアンマン」公開当時、今や現代の神話と表現しても差し支えないMCUという壮大なシリーズ構想は固まっていなかった。最終的には「アベンジャーズ」を結成する野望はあったようだが、その実現は「アイアンマン」の成功にかかっていた。主演に一度薬物問題で落ちぶれたロバート•ダウニーJr.を起用し、X-MENスパイダーマンに比べると知名度の低い(2番手とも揶揄された)ヒーローを、これまで映画製作経験のない会社が作ってうまくいくのだろうかと当時は懐疑的な目が多かった。結果はご存知の通り。ヒーロー映画史に名を残す大傑作が誕生した。

本作がMCUを考える上で大切になってくるのは、シリーズの礎となるリアリティラインの提示に成功した事実であろう。先述のX-MENスパイダーマンは単なるアクション映画の枠にとどまらない面白さが人々の心を掴んでいた。キャラクターの内面を掘り下げたエモーショナルなストーリーに加え、コミックのデザインをベースに現代風にアレンジしたヒーローたち。マーベルスタジオはそれらを上回る全ての要素をハイクオリティなレベルで提供した。現実にヒーローはいないのだから、その存在に説得力を持たせ、リアルだと観客に感じさせるのは至難の技である。しかしマーベルスタジオはMCUの世界観を絶妙なバランスで組み立てあげた。我々の住む"現実"の世界をたしかに感じさせる雰囲気。その延長線上にMCUの世界を構築した。本作はアフガニスタンでトニースタークがテロリストに誘拐されるところから始まる。掴みは中東の現状を反映した設定だ。だから観客もほとんど現実に起こっている物事と同じ感覚で映画の世界に入っていく。また、それでいてコミックらしい快活さを保っていることももう一つの魅力である。サムライミ監督のスパイダーマンシリーズがその先駆けであるが、クリストファーノーラン監督のダークナイト三部作ではダークテイストで大人向けの雰囲気を漂わせるアメコミ映画が作られ、その後の映画やゲームに多大な影響を与えた。しかし、MCUはその流れに新たな風を吹き込んだ。あくまで明るく、軽いジョークもたくさん挟んだ陽気な作風を志向したのだ。両者とも良さはあるけど、自分はMCUの雰囲気が好きである。

MCUのスターターとしての偉大さはここら辺にとどめておいて、「アイアンマン」自体の良さについて考えたい。アイアンマン/トニースタークがトップレベルの人気を誇る理由はなんだろう?やはりスーツのカッコ良さは真っ先に挙げられるだろう。仮面ライダーの返信シーンのような装着シークエンスはもちろん、それをトニーが己の頭脳と技術で手作りしてしまうのもそそられる。機械いじりのワクワクが存分に伝わってくる。「自分もなりたい」と思わせるのはヒーローに大事な要素だけど、アイアンマンは誰がそのスーツを着てみたいと思わせる魅力がある。

あとトニースタークのキャラクターも人気の原因だろう。彼は深刻な状況でもジョークを飛ばすことを忘れない。そのユーモアは見ていて楽しい。ナルシストで傲慢なところもありながら、優しい心を持っていて、時に傷つきやすい。鋼鉄のスーツに身を包みながら、その内側には繊細すぎるほどナイーブな人間がいるというのが面白い(繊細だからこそ固いスーツで自分をガチガチに守っているとも言える)

本作はトニースタークが挫折を経験し(このあとのトニーの受難を知っていると放蕩三昧の頃の彼が恋しい)、ヒーローとして立ち上がるまでをテンポよく鮮やかに描いている。ヴィランのオバディアはウィップラッシュやキリアンに比べると地味な印象も受けるが、主人公トニーの成長にフォーカスするにはこの塩梅がちょうどいいのかもしれない。オバディアを中心とするエピソードは、2以降で明確になってくるハワードスタークという偉大すぎた存在と彼に対するトニーのコンプレックスの問題を暗示している。新たな挫折への伏線はすでに敷かれていたのだ。

テロリズムアフガニスタン、兵器輸出など、極めてアメリカ的な要素が強いのも「アイアンマン」の特徴。なんだかんだキャプテンアメリカ並みにその色は濃い。自分の売った武器に攻撃され、かつての行為を後悔するトニーの姿自体、冷戦時に反ソビエトというだけで武器をばら撒いた数十年後にテロという形で恨みをぶつけられたアメリカと重なる部分がある。テロだけに限らず未知の脅威が日々の生活に暗い影を落とす現代社会、人々がヒーローを求め熱狂するのは、そんな先行きの見えない現実に救いを求めていることの証なのかもしれない。