(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

ヒメアノ〜ル / すぐそばにある狂気

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公開前の試写会段階から評判の良かった「ヒメアノ〜ル」がついに登場。前半はラブコメ、後半はサイコサスペンスという異色の組み合わせながら絶妙なバランスで楽しめるエンタメに仕上げた期待通りの秀作だった。いつも通りネタバレを含むので未見の人は注意してください。

まず前半のコメディパートについて。主人公の名前岡田とその同僚安藤のオフビートな掛け合いが笑いを誘い、かなりテンポも良い。岡田は趣味も将来の夢も特になく、覇気も感じられない"イマドキの若者"的イメージの平凡な人間。彼がなんの取り柄もない一般人であることはこの後のホラー展開で効いてくる。行きつけのカフェの店員に片思いする岡田の同僚、安藤はあまりに一途すぎる余り、そこにストーカー気質を感じなくもない。正直言って気持ち悪い。けど、彼の偏執的な部分は誰でも持ちうるということもまた事実である。似ているようでいて結構対照的な二人はカフェの可愛い店員ユカにアプローチすべく奮闘する。この調子を外したラブコメはかなり面白い。笑えるけど、ちょっと居心地の悪さを覚える悪趣味な感じも最高。特に安藤がユカに降られて部屋にチェーンソーを置くシーンは必ずしもギャグに思えなくて怖い。これは後半の主役森田の狂気を暗示する伏線として素晴らしい。よく考えれば、というかよく考えなくても、安藤と森田のストーカー気質はほとんど一緒である。その違いは他者に対する攻撃性があるか否かしかない。安藤にもし森田のようなトラウマがあったら…どうなっていたかわからないのである。

そして中盤、岡田とユカは初めて共に夜を過ごす。それと時を同じくして、森田は復讐にやってきた高校の同級生とその彼女を殺害し、放火する。セックスの恍惚と惨殺の悲鳴は重なり、ふたつは一体化する。これまた悪趣味な演出だが、ここでラブコメとサイコサスペンスは交差し、狂気の怪物の物語への急転換を遂げる。命を生み出す営みと、命を奪う営み。両極端だが、というか両極端だからこそ、このふたつの営みの距離は近く見えるんじゃないだろうか。そして森田が殺人を犯し、外へ歩き出したタイミングで「ヒメアノ〜ル」のタイトルが映し出され、オープニングクレジットが始まる演出も素晴らしい。鳥肌がたった。ここから本当の物語が始まるのである。

後半は岡田とユカを追いかける森田の狂気を描く。岡田の凡人設定はここで活かされる。観客は彼の目線を通じて物語を味わう。人並みの幸せを感じ、物事が順調に動き始めた矢先の地獄。日常の中に突然割り込んでくる非日常は、見る者の恐怖を煽る。生々しくリアリティある世界で起きる事件だからこそ、観客の身近に感じられてくるのだ。もしかしたらあした自分たちの身にも降りかかってくるかもしれないという気持ち悪さが襲ってくる。前半にもあった居心地の悪さがここで極限に達する。

森田を演じるV6森田(紛らわしい)の演技は素晴らしい。完全に狂気を宿し、まさしく「怪物」なのだけど、どこか悲しげな目をしている。どこにでもいそうなチンピラ感がメチャクチャ怖い。ホントにパチンコ屋の前で朝から並んでそうな雰囲気。自分だってこういう人に関わる機会は少なくなさそうだから、余計に気持ち悪い。彼の狂気の原因も悲しい。事件が終わりを迎えたとき、彼は完全に正気を失ってしまっていう。やっと殺人の連鎖が終わるんだという安心感を覚えると共に、切なさがふつふつと湧いてくる。どうしてここまで誰も止めてくれなかったんだろう?誰かが、どこかで手を差し伸べていたら。彼があそこまで傷ついて気が狂ってしまう前に助けられたら、こうはならなかったかもしれない。いじめっ子は断罪されるべしだけど、それをただ見ていただけの岡田たち="ふつうの人"が森田="ふつうの人"を怪物に変えてしまったのだ。

この物語は「ストーカー」と「イジメ」という日常的に耳にする社会問題をベースにしている。誰だってストーカーの加害者にも被害者にもなるし、イジメの当事者になりえた(もしくは残念ながら"当事者だった"人もいるかもしれない)。だからこの映画は怖い。もっと森田の虐殺シーンがショッキングなものだったら、満点と言えたかもしれない。それぐらい面白い!と思える作品だった。