(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

二郎は鮨の夢を見る / なぜ寿司"職人"なのか

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 時々料理の世界でも"職人"というワードを使う。お菓子職人はたまに使うけど、ラーメン職人とかサンドイッチ職人なんて言い方は普通しない。しかし、もしかしたら僕の中だけかもしれないけど、寿司"職人"という言葉には他にはない特別な響きを感じる。お菓子職人とは何かが違う。寿司が日本の代表的な伝統料理であることを考えれば、寿司の世界に歴史の重みや高尚な哲学を感じるのは自然かもしれない。そういうぼんやりとした考えを確信に変えてくれたのが「二郎は鮨の夢を見る」だって。

 この映画はフランス人監督の目を通して名店「すきやばし次郎」の店主小野二郎さんの姿が描かれる。日本の寿司職人の世界は厳格な師弟関係と終わりのない修行の積み重ねである。最初はシャリを作ることから始まり、食材を下ごしらえし、何年も経験を積んでやっと寿司を握らせてもらえるのである。ホリエモンはそんな風習を意味のないものだと批判したけど、この映画を見ていると彼の考えは非常に浅いものであるとわかる。毎日、寿司について考え、本気で向き合い、「寿司」そのものだけでなく、「寿司を握ること」を知らなくてはならないのだ。すべてを知ることはどれだけ寿司を握ってきても不可能だし、厳しい師弟関係の元で学ぶことは寿司に対する自分の姿勢を固める上で必要不可欠なのだ。

 小野二郎さんは死ぬまで現役を続けたいし、勉強が終わることはないと語る。"職人"とは、長い年月修業を積み、己に限界を設けず、死ぬまでその分野を極め続ける人を指すのだ。そして彼らには独特の哲学がある。それは外部の人間には到底理解できないものであるかもしれない。気の遠くなるような努力を重ね、その先に進んだものだけが触れられる真髄を知るものたちを、私たちは"職人"として崇める。すきやばし次郎に通いつめる美食家たちは、言うまでもなく小野二郎さんの握る寿司を楽しみにしてるのだが、彼の寿司哲学を体験するために銀座まで足を運んでいるとも言える。学生が思い出づくりでディズニーに遊びに行くように、すきやばし次郎にはすきやばし次郎にしかない独特のおもてなしがあって、客はその空間で寿司を味わうことそれ自体を楽しんでいる。そこにしか存在しないオーラ。そしてそれを提供する小野二郎さん。これはまさしく宗教であり、小野二郎さんこそ「すきやばし次郎教」の教祖、いや、神なのかもしれない。素人の自分からすれば、彼は誰にもたどり着けない領域にいるように見える。寿司は料理という括りを超えた存在なのかもしれない。小野二郎さんは、たぶんその答えを知っている。

 すきやばし次郎なんて超高級店、大学生の僕がどうせを伸ばしたって行ける店ではない。だからこの店には大人の空間に対する憧れを抱いていて、いつかその素晴らしさを体感したいと思っていた。そしてこの映画はその思いをより強いものにした。小野二郎さんの生き様そのものに感動し、震えた。彼に心酔する人が多発するのも納得だ。将来絶対に行きたい。なので小野二郎さんには生涯現役で、僕がそれなりの社会的地位に登りつめるまで長生きしてほしい。というのは冗談にしても、彼のような職人が失われてしまってはあまりに惜しいと思う。必見のドキュメンタリーだった。