(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い / 911文学の金字塔

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 こんかいはジョナサン•サフラン•フォアの同名小説の映画化作品。自分はこの原作小説がとても好きだ。奇妙なタイトルに惹かれて手を取り、みごとにハマった。エモーショナルなストーリー、内容と深くリンクした写真や絵を挿入することでビジュアルに訴えかける実験的な構成。何回か読み返し、その度に愛着が深まった。アメリカ国内では911を扱う本作に対し、ただ読者を感傷に浸らせるためにこの事件を利用しているだけではないかとか、この斬新すぎる構成は不謹慎なのではないか、との批判もあったらしい。たしかに一理あるのだけど、だからといってこの作品の価値が損なわれるわけでもない。これがダメならロバート•パティソン主演の「リメンバー•ミー」はどうなってしまうんだと思う(案の定この作品にも多くの批判の声が浴びせられた)。正直なところ原作の内容についてもっと語りたい気持ちもあるけど、こんかいは映画の方について感想をまとめたい。

 批評家の評判は必ずしも高いわけではない。自分も小説を先に読んでしまったため、尺の都合で省略された要素や構成に不満もある。ただ、この記事では小説と映画の両者に共通して練りこまれている魅力について話すつもりだ。

 主人公は911で大好きな父親を失ってしまった自閉症の少年オスカー。彼にとって父親は唯一と言っていい完全なる理解者だった。同じ目線で世界を見ていて、つねに素晴らしい知識とアイデアを与えてくれる。そんな父親を事件によって奪われ、オスカーは自分の殻に閉じこもってしまう。母親にも冷たい態度をとる。だけどある日、父親の部屋に入った際、彼は謎の鍵と「ブラック」という名前の書かれた紙片を見つける。これは父親が遺した自分に対するメッセージに違いない。そう考えたオスカーは鍵がはまる鍵穴を探すべく、ひとりNY中を旅することを決める…というのがあらすじ。当然、この話の中では911により大切なものを失った人、傷ついた人が登場する。ここで大切なのは、彼らにとって911テロが地震や台風のような自然災害と等しいものであるということ。テロや戦争は突然平和で幸せな日常を破壊する理不尽な災いであって、それ以上でも以下でもない。直接の被害者にとってテロや戦争に深い意味はない。政治的な意味合いをもたせてあーでもないこーでもないと騒ぎ立てるのはいつも外野の人間なんじゃないかと思う。特に本作の主人公、オスカーにとって911はあまりに急で、恐ろしい災いだったはずだ。ここテロをきっかけに始まる戦争も、彼にとっては大した問題ではなかっただろう。911をこのような個人個人の目線に落とし込んで語ったところに本作の秀逸さがある。

 考えてみると、この話は少々荒唐無稽で現実離れしている。特に最後に明かされる驚きの事実、すなわちオスカーに理解を示せず距離を置いていたように見えた母親が息子の行く先を全て先回りしていて、事前にアポを取っていた事実は感動的であるが、流石にあり得ないのでは?と考えてもおかしくない。探偵でも開業できるレベルのリサーチ力だ。しかし、そんな野暮でつまらないツッコミは入れるべきではない。自分はこの物語をある種のファンタジーとして捉えている。テロとか戦争とか、そういう現実は直視するにはあまりにも厳しい。だから、フィクションでぐらい甘くて救われるラストが待っていてもいいんじゃないだろうか。すこし現実離れしている方がむしろ事の本質を見つめられるという場合もある。最近の作品だと「LIFE!」とか「リップヴァンウィンクルの花嫁」にも近い雰囲気を感じるが、こういうお話はわりと好みである。

 最後にタイトルの「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の意味について検証する。自分は二つの可能性を考えた。まずは「自閉症のオスカーからみた外の世界」のこと。彼はタンバリンを鳴らさないと地下鉄や人ごみに行くことができない。それは彼がもともと自閉症の問題を抱えているからであり、また、そうした喧騒がテロのトラウマを呼び起こすからだ。小説では一回だけこの「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のフレーズが登場する場面がある。エンパイアステートビルの展望台でオスカーが景色を眺めていると、窓ガラスに張り付いていた鳥たちが一斉に飛び立つのである。その様子を「ものすごく〜」で表現している。この鳥たちの威圧感、不気味な感じはおそらく彼からみた外の世界全てなんじゃないかと思う。もしそうだとすると、彼の抱える恐怖とか苦しみは相当のものであるし、その分だけ父親の生きた証を追いかけ、繋がりを維持し続けようとする彼の悲痛さ伝わってくる。
もう一つの意味は「彼を近くで見守ってきた母親」である。家では彼を心配し、口うるさく、時に傷つく言葉を浴びせられても彼を正しい方向に導こうとしてきた母親は、いつも遠くにいるように見えて、じつはものすごく近いところで息子を見守ってきたのである。最初はこっちの意味を考えていたのだけど、何回も嚙み砕くうちに最初に挙げた方の意味にたどり着いた感じ。タイトルの意味=母親もなくはないけど、オスカーの成長が話のメインであることを思えば、やっぱり彼の見る世界を表現していると取る方が自然なのかな。

 とくに構成を考えずにダラダラと感想を綴っているのでまとまりのない中身になってしまった。わりと神経質で繊細な内容の映画であるから、見ていて疲れてしまう部分はあるのだけど、とにかく人にオススメしようと思っている作品。母の日のカーネーション売り場をみて、なんとなくこの作品を思い出したので書いてみたのでした。