(旧)えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

アイアムアヒーロー / 日常が破壊される恐怖


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 公開前から評判になっていた本作。広告ではあまりビジュアルを出していないものの、原作の内容をみればわかると通り、ゾンビ映画である。そのようなジャンルに対して苦手意識があって見てこなかったのだけど、邦画でゾンビ映画という珍しさに惹かれて劇場へ足を運んだ。結果的にその選択は間違っていたなかったと思う。ズートピア同様、ネタばれ込みでその面白さをまとめたい。

 この映画でいちばん面白かった点、それは記事のタイトルにも入れた「日常が破壊される恐怖」だった。特に序盤はこの要素が強い。うだつの上がらない漫画アシスタントの主人公鈴木英雄。「ヒーローの意味の英雄です」とかカッコいいこと言うけどボソボソ喋ってるのでイマイチパッとしない。妄想癖も強い。彼女からはいつまでも夢にしがみ付く無謀さに、ほとんど愛想つかされている。日常はどん底。そこに突然、正体不明の「ゾキュン」パニックが押し寄せてくる。最初は彼女からその変化が始まる。徐々にゾンビに変貌し、醜い姿になっていく様を嫌らしいぐらいじっくりみせる。この映画でいちばん怖かった。続いて職場。ゾキュン化が彼女以外の身も起こっていることが発覚。ほとんど放心状態のまま外の大通りに出ると、たくさんの人々がゾキュン化し、地獄絵図になっている。どこにでもある日本の住宅街の風景がとんでもないことになる。地震や台風など大きな自然災害があったとき、見慣れた風景がメチャクチャになっているのをニュースで見て心を痛めたり、あまりに突然すぎる悲劇に恐怖を覚えたりする。感覚的に同じものとは言えないが、近いものがあると思う。とにかく怖いし、面白かった。ジェットコースターのように次々もの凄い映像が飛び出すので目が離せない。外国産のゾンビ映画では味わえない楽しさだ。

 中盤、舞台は森の中へと移動。比呂美との心の交流が中心となる。作品全体に緩急をつけるためにも、こういう展開は必要なのだけど、正直かったるさもあった。なにしろ比呂美の背景事情は断片的でセリフから察するしかない上、彼女の存在が後半に生かされないからだ。全体を俯瞰してみると、この部分に大きな意味を見出せない。すこし惜しいと思う。せめて後半、比呂美が自分の能力を使ってゾンビと戦う場面もあれば燃えたし、森の中の静けさに意味が与えられたのではないか。とにかく比呂美が「有村架純出したいだけ」に見えてしまった。

 終盤は廃墟のショッピングモールでのサバイバルとゾンビ大量虐殺である。英雄と比呂美が放浪の先に行き着いたのは、生存者が協力して集団生活を送り、ゾンビに対抗しているコロニーだった。しかし英雄が猟銃を持っていたことにより仲間割れが勃発。パニックモノにありがちな人間同士の争いによる自滅を描く。この展開のもどかしさはセオリー通りと言えるけど、面白いし好きだ。リーダーとニート(どっちも名前忘れた)の対立はあまりに愚かだった。けっきょくコロニーほぼ全滅という状況を迎え、ラストのゾンビ大虐殺へと向かう。これまでもそうだったけど、この場面はとにかく容赦ないゴア描写。苦手な人は参っちゃうんじゃないだろうか。しかしこれまで嫌悪感を抱いていた人体破壊が、ここでは爽快になってくる。有効な武器を持っていながら使う勇気もなかった英雄が、大切な人たちを守るため、ついに一皮むけて戦うからだ。吹っ切れちゃう。ひたすら無言でゾンビの頭をぶち抜く。ぜんぶメチャクチャにしやがったゾンビをひたすら仕留めていく気持ち良さ。映画的なカタルシスの極みだと思う。最後、戦いを終えてあだ名のメガネではなく、本名の鈴木英雄を名乗る場面もグッとくる。彼はホンモノのヒーローになったからだ。自分から「ヒーローです」と言わなくなったところに、彼の変化がしっかり現れている。

 中盤に少々不満はあったものの、全体でみると大いに楽しめた。こういう映画がヒットすれば邦画の未来は明るいよなあなんて上から目線で考えてみたり。ゾンビ大虐殺のシーンを腹痛に耐えながら見ていたのが唯一の後悔である。