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えいがのはなし

映画に対する感想を自由にまとめたものなのでネタバレを含むレビューがほとんどです。未見の方は注意してください!

アノマリサ

アニメーション ストップモーション ヒューマンドラマ 東京国際アニメーションアワード アノマリサ チャーリー•カウフマン

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京アニメーションアワードフェスティバルでみました。なんと準備不足により字幕が準備できなかったということを窓口で知らされ、抜きうちリスニングテストを受けることに。払い戻しを受けた上で、タダで観れるから気にせず鑑賞することにしたのですが、責任者の謝罪もいい加減なもので、ヘラヘラしながら喋っていたのもいかがなものかと。この映画祭の運営の評判がよくないのも納得です。

 

愚痴はここら辺にして、映画の内容について考えたいと思います。字幕なしなので理解度は80パーセントぐらいです。勘違いがあったらすみません。

 

この映画はストップモーションによるアニメーションで作られています。主人公は社会的にもそこそこ成功し、名声もお金も家族もある中年男性のマイケル。しかし生きることにつまらなさを感じています。特に問題なのが、自分以外の人の顔と声が全部同じに感じられてしまうこと。男も、女も、子供も。みんなオッサンの顔と声にみえてしまいます。主人公もずっとそれに苦しめられてきた。これは人生になんの楽しみも見出せなくなってしまい、他人に対する興味がなくなってしまった彼の態度の表れといえるでしょう。現に彼は妻との関係もうまくいっていません。

 

しかし、そんな彼の目の前に「運命の女性」が現れます。名前はリサ。他と違う、彼女自身の声がしっかり聞こえてくるのです。顔も、女性そのもの。マイケルは、ついに自分の人生に光が差し込んだと言わんばかりに猛アプローチを仕掛けます。もともとマイケルのファンだと言っていたリサもそれに答えます。彼女はじぶんの顔にコンプレックスを抱いており、身体にあるアザを見せたがりません。繊細で楽しい人なのに、内面は傷ついている。だから殻に閉じこもりがちになっています。そういう内向きなところにいじらしさや愛くるしさを感じたのでしょうか。マイケルはどんどん彼女にハマっていきます。

 

マイケルはリサをホテルの自室に連れ込み、最終的にセックスまで持ち込みます。このシーンがすごい。人形劇なのにエロいんですね。お互いがお互いの気持ちを確かめ合うように肌に手を滑らせ、やがてひとつになっていく。とても官能的で、心動かされる場面です。太った中年同士のセックスをここまでロマンチックに描けるのは、ある意味、アニメーションだからでしょう。全く新しい可能性を感じました。

 

夜が明けてマイケルはリサに婚約を申し込みます。50過ぎたオッサンとは思えない情熱です。リサには妻と離婚することまで約束しました。なのに、マイケルはリサと朝食をとったときにアッサリ気持ちを翻します。彼女がグチャグチャ音を立てて食べることに苛立ちを覚えてしまい、幻滅したからです。そんな些細なことから、彼はリサを捨ててしまいます。なんとも後味の悪い終わり方です。

 

非常にこじらせたお話じゃないでしょうか?結局のところ人は独善的で、自分のことしか考えていない。特にロマンチストなマイケルは相手を思いやるなんてことはせず、自分の理想を相手に押し付けるだけ。思い通りにならなければ、もう終わりだと絶望してしまう。自分の理想にぴったり合う人間なんていないでしょう。関係をもつ上でガマンしなきゃいけない部分が必ず出てくる。それができないマイケルはどれだけ多くの人に会おうとも生きている甲斐がないのかもしれません。おそらくマイケルは一生自分を不幸に思って暮らすでしょう。なんとも意地悪な、大人のためのおとぎ話でした。

 

ラスト•アクション•ヒーロー / 映画愛の溢れたコメディ

ファンタジー アクション アーノルド•シュワルツェネッガー ラスト•アクション•ヒーロー

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ハリウッド映画界きっての人気者、アーノルド•シュワルツェネッガー。オーストリアからボディビルダーとして渡米してきた経歴もつ彼の絵画の世界から飛び出してきたかのような迫力ある肉体とそれによって生み出される無敵の風貌は、強いヒーローを愛するアメリカ国民のハートをつかんで離さなかった。私生活のゴタゴタや州知事時代の様々な問題がノイズになることもあったが、それでも彼はアクション映画のナンバーワンヒーローであり続けている。

 

そんな彼を主人公に据え、パロディとオマージュを詰め込み、アクション映画ファンならクスリと笑ってしまいたくなるお手軽なアクションコメディに仕立て上げたのが本作。アーノルド•シュワルツェネッガーはなんと本人役だ。映画世界内でも大スターの彼が主人公を演じるアクションムービー(これまた紋切り型で安っぽい)にファンの少年が魔法の力で迷い込んでしまうというのが主なあらすじ。

 

とにかくメタ目線で捉えるちょっぴり皮肉っぽい笑いが魅力である。ハリウッド映画にありがちな御都合主義を、現実世界の人間が突っ込む。観客目線であるあるネタを攻めるのでとても楽しい。特に有名なところとして、ターミネーターがスタローンになっているポスターが登場する場面があるが、これは二人の関係性について知っているとますます笑えてくる。こういった小ネタは背景知識をたくさん持っていればそれだけ様々気付けるんじゃないかと思う。

 

しかし一方で本作は惜しい部分もある。ドタバタコメディにしてはストーリーが複雑、というか整理しきれていないため、中だるみが激しいということである。特に悪役に関しては、彼の面からメタ的なギャグを挟む機会がなかなかないためか、単なるステレオタイプのつまらないキャラクターにとどまってしまった。主人公の二人がお互いのいうことを信じ、助け合う関係になるまでの筋も少々ゴタついておりスッキリしない。

 

結局のところコメディとしては楽しいけど、映画の世界に少年が飛び込んでしまうという凝った設定を生かした新鮮なアクション映画を期待していた自分にとってはちょっと物足りない内容だった。しかし家族で見られる安心のおもしろさなので、ただそのビジュアル的な楽しさ、ギャグを素直に受け止めればそれで十分なのかなとも思った。なんでも小難しく考えたがるこの癖をなんとかしなければ…。

WE ARE YOUR FRIENDS / EDMに賭ける青春

WE ARE YOUR FRIENDS ウィー•アー•ユア•フレンズ 音楽 EDM 青春 ザック•エフロン

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あらかじめ言っておくと、お金と時間の限られた現状で本作をみてしまったことを少し後悔している。基本的に映画館で観る作品は楽しむよう努力しているけど、「WE ARE YOUR FRIENDS」はその余地もなくただ退屈であった。どうしてなのか、まずはストーリーから見ていく。

 

全編を見通して感じたのは「サタデーナイト•フィーバー」のようだということ。決して裕福には見えない、有り体に言えば底辺に暮らす若者が夢を抱きながらも燻っている自分に不満を抱き、現実を忘れるため音楽に打ち込む。到底手の届きそうもないアッパークラスの女性に好意を抱き、グループ内の下っ端的な友人が事故で死に、その苦しみに耐えながらも前進することを決意する。刹那に生きる若者の悲哀を描いた両作はこんなにも共通点がある。

 

しかし「WE ARE YOUR FRIENDS」には残念ながら「サタデーナイト•フィーバー」のように惹かれる影もない。ただ退屈で間延びしている。おそらくいちばんの失敗点は主人公に共感しにくいことである。DJとして働くコールは女性にモテる。童貞拗らせたトラボルタとは大きな違いである。加えて金持ちの著名なDJに出会い、手取り足取り教えてもらい、その恩を忘れて女性を寝取るクズっぷりを発揮したと思いきや、友人が死んで落ち込んでいるので助けて下さいと泣きつく。一度は見捨てられたのに、なあなあでサマーフェスのステージに立つチャンスを得ている。たしかにコールは自分の未熟さを受け入れ、成長の兆しが垣間見えるものの、次なるステージへ跳躍するキッカケ自体は自分でもがき苦しみ掴み取るのではなく、他者から与えられるものである。単なるラッキーだ。そこに物語的なカタルシスはなく、「這い上がれるか」なんて言われても説得力がない。最初から最後まで恵まれたコールでは面白さがない。いっそコールが死んで、下っ端の友人がそれを叫んだ方が響いたかもしれない。

 

あとこの映画を見に来た人は何を期待するのだろう?ザック•エフロンのセクシーさを求めていた人は大いに満足できるであろう。しかしたぶん、多くの人はEDMのカッコよさを大スクリーンと大音響で楽しみたいと思うって劇場に来るんじゃないだろうか。しかし、その肝心の音楽シーンの演出が全く盛り上がらない。唯一、先輩DJの自宅のパーティーに呼ばれた際のダンスシーンは観る価値があった。コールが観客の心をつかむDJ術を語りながら、それを実践していくのだ。ここはなかなか興味深く、面白かった。他方、オープニングのクラブの場面はイマイチなにが行われているのかわかりづらい上、一曲フルで流すこともないから高揚感を得られない。ラストの友人に捧げる音楽も僕個人の感じ方ではあるけど、あまりかっこよくない。自然音をかき集めてメロディに生かす"独創性"が発揮されるシーンなのだけど、この境地に至るプロセスもそんなに自然ではなく、特に最後に感動を覚えるわけでもない。ものすごくぎこちなさを感じてしまった。

 

結局のところ、あまり好きなポイントも見つけられずに終わってしまった。平日昼の新宿に見に行ったらEDM好きそうなチャラめの客がたくさんいたけど、このテンポの悪い退屈な映画にガッカリしてないことを祈る。

貞子vs伽倻子/ 二大スター、夢対決!!

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「リング」の貞子と「呪怨」の伽倻子と俊雄は日本映画界でもトップクラスのスターだ。特に貞子はゼロ年代サブカルチャーのアイコンと言っても過言ではない。そんな彼らがまさかの共演を果たしたのが本作「貞子vs伽倻子」である。ことしはDCとマーベルがそれぞれ二大ヒーローを対決させるクロスオーバー作品を後悔したが、その流れに乗るかのようなタイミングでの公開となった。どう考えても悪ノリのような内容だが、コメディを期待して行くとその本格的な怖さに面喰らう。

 

呪いのビデオでその効果を発揮する貞子。DVDの普及したいまビデオデッキのある家庭なんて珍しいのに、どうやって彼女を登場させるのか疑問に思っていたが、そこのロジックはとても上手く処理していた。まず独り身の老人宅、続いてリサイクルショップ経由で若者の手に渡り、大学教授の研究室やお寺の事務所でも再生される。いかにもビデオデッキが置いてありそうな場所で物語を展開している。そして最後、ビデオはネットに拡散される。貞子というキャラクターを現代に復活させるにあたってとてもスマートな話運びであろう。

 

貞子登場までは丁寧にホラーシーンを積み重ねて観客の恐怖と絶望を掻き立てていく。ドッキリ的な怖さより、次第に自分の置かれた状況のまずさに気づき、迫り来る死を避けられないジワジワした怖さがとてもイヤらしい。グロテスクな描写もほとんどないため、ホラーに好奇心のある小学生も安心して楽しめるのである。ここが本作のとても"偉い"ポイントだ。しっかりり恐怖を与えつつ、それを全員が楽しめるエンタメに結晶させている。本格的ホラー映画の風格を漂わせているが伽倻子の登場は少々唐突で、お祓いのシーンからはほとんどギャグに突入する。夏実への過激なお祓いを止めようとした友里が勢い余って祈祷師にビンタされるシーンは笑ってしまった。さらになんの説明もなく幽霊のスペシャリスト的キャラクター、経蔵が友里たちの前に現れ、物語はいよいよ観客の期待していた世紀の対決へ全力疾走することになる。

 

経蔵のキャラクターは物語のリアリティラインを著しく下げており、前半のテイストが気に入っていた自分にはちょっと残念な部分もあったのだが、彼の登場は「いよいよバトルが始まります!みんな楽しんでね!」というメッセージにもとれる。観客もここからは笑って楽しめばいいのだと気楽に捉えられる。予告編にもある「バケモノにはバケモノぶつけんだよ!」は名ゼリフだ。貞子に呪われた友里は伽倻子の家に入って彼女に呪われ、伽倻子に呪われた鈴花は伽倻子の家で貞子の呪いのビデオを観る。経蔵いわく、ふたりの呪いを同時に身に受けることで両者の呪いは相殺されるらしい。んなわけねーだろとツッコミたくなるが、みんなよほど切羽詰まっているのかすんなり納得している。かなりメチャクチャで、かなり楽しい。

 

ラストは衝撃的だった。ふたりの呪いは相殺されることなく、貞子と伽倻子が空中でぶつかって大爆発が起きる。そのインパクトで経蔵は身体を真っ二つに割かれてわりとあっさり死ぬ。大爆発の後に現れたのはクトゥルフのような巨大タコ。一旦井戸に封印されたのち、フタを突き破って貞子と伽倻子の融合体が登場。キーンという貞子が出てきたときの耳鳴りの音とア"ア"ア"ア"ア"ア"という伽倻子のうめき声が同時にシアターに響き渡り、絶望の叫びと共にエンド。正直見ていてなにが起きたのか、自分が見ているのはなんの映画なのかわからなかった。最高だった。自分の期待していた「貞子vs伽倻子」はまさしくこういうテイストなんだよと。観客の求める全てを詰め込んだ白石監督に拍手を送りたい。シアター内が明るくなって観客みんながその驚愕のオチに爆笑したり、微妙な表情を見せたり、苦笑いしたり、様々なリアクションを見せているのが楽しかった。レイトショーに見るのがぴったりなB級感に溢れる秀作だった。

アイアンマン2 / 父と子のときを超えた絆

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「アイアンマン」「インクレディブル•ハルク」の成功を受け、本格的に始動したMCU。「アイアンマン2」ではSHEILD創設者ハワードスタークやSHEILDエージェントのブラックウィドウが登場し、一気に世界が広がる。「アベンジャーズ」に向けた布石を着々と打ち、徐々に盛り上がりを見せる本作の感想を今回はまとめたい。

 

まずはデザインについて触れたい。ヒーロー映画で"カッコよさ"は最優先事項である。アイアンマンのスーツは着実に進化している。冒頭のスーツケースから取り出して変身するシークエンスはまるで仮面ライダーのよう。シリーズ屈指の人気を誇るタイプではないだろうか。ウィップラッシュのスーツやブラックウィドウのコスチュームは自分好みのもの。特にウィップラッシュの機能はどう考えても重いし引きずるし実戦向きでは到底ないのだが、とりあえず見た目がカッコいいのでOKというのが良い。ブラックウィドウもSHIELDの存在を強く印象付けた。警備員をなぎ倒す華麗なアクションにも惚れ惚れする。

 

ストーリーについて。まずはトニーとローズの友情の進展を考える。ふたりはお互いの能力を信頼し、仕事でもプライベートでも正直に接する。このあとも続くアベンジャーズたちの戦いの中で、ふたりの協力は大きな役割を果たしてきた。「シビルウォー」での展開を知っているとちょっと切なくもある。いまでこそ、再確認したい関係性だ。

 

アイアンマン2」の核心部分にも触れてみる。本作はヒーロー活動を開始したトニーが徐々にスーツに対する依存を深め、みずからのアイデンティティに向き合う話である。彼の人格形成に大きな影響を及ぼしたのが父ハワードとの関係性だ。ハワードは仕事に打ち込んでいたため家庭に構うことがなく、兄弟もいない一人っ子のトニーは寂しい子ども時代を送った。"父の愛情を受けられなかった"というコンプレックスは彼を傷つけ、彼は誰かに甘えることができなくなってしまった。だからトニーはなんでもかんでもひとりで全部やってしまう(幸か不幸か能力が高いのでそれができてしまう)のである。

 

心にそうしたしこりを感じてきたトニーだったが、ハワードが後世に残した映像やメッセージをみるうちに、じぶんは決して父に見捨てられていたわけではないと知る。ハワードは息子を信頼し、新元素を生み出すためのパズルの最後のピースを残しておいた。時空を超えた親子の愛と絆が目の前の問題を解決する。なにかと低評価を受けがちな「アイアンマン2」だけど、丁寧に読み解けばロマンティックで感傷的な良作だと思う。

 

トニーは父の偉大な力によって救われたと言える。しかしそもそも、彼が窮地に陥ったのも元はといえば父が蒔いた種のせいである。こんかいのヴィラン、イワンヴァンコは、父がハワードスタークのせいで没落したと信じている。「アイアンマン2」は二組の親子の因縁の対決にもなっているのだ。父への憧れやコンプレックスが正の方向へ向いたのがトニーであり、負の方向へ働いてしまったのがイワンなのである。2世代にわたる対決はMCUの世界観に深みを与えている。長い年月の中で繰り広げられる人間ドラマは、この歴史がまるで現実と並行して積み重ねられてきたかのような感覚を与える。「アベンジャーズ」への布石としての役割は十分果たしているだろう。

ベン•ハー / 長い旅の末に待っていたのは…

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 ベン•ハーはとにかくスケールの大きな映画である。まず、上映時間が長い。4時間近くあり、途中にインターミッションが挟まれる。冒頭には序曲が流れて「これから長い旅に出るんだ」と自然に気が引き締まる。この物語の主人公ベン•ハーの人生は、おそらく世界史に最も大きな影響を与えたであろう男、ナザレのイエスの誕生から処刑、復活と並行して描かれる。単なるスペクタクル映画とは一線を画す非常に宗教的な要素の強い映画でもある。
 
 この映画を見た人が口を揃えて言うのは「映像が凄い」。月並みな表現と感想ではあるが、これだけの迫力をCGのない時代に作ったとは信じられない。まず物語自体がベン•ハーの漂流と帰還を描く壮大な叙事詩であるため、登場する舞台も全てが大きい。古代ローマの神殿、海戦、クライマックスの競馬場。その場にそのものがあるという実物のリアリティが画面から膨大なエネルギーで伝わってくる。
 
 海戦は俳優が演じるセットと精巧に作られたミニチュアの両方を駆使することで臨場感あるシーンを生み出している。波の大きさなどでミニチュアであることはハッキリとわかってしまうのだけど、独特の良さもある。CGで作られた映像にはどうしても作り物感が漂ってしまうのに対し、ミニチュアはスケール感の問題を差し置いても存在感があり、CGとは別のベクトルでリアリティを感じる。
 
 そして特筆すべきはやはりクライマックスの競馬シーン。約10分ほど、音楽なしで、ひたすら歓声、馬の足音、砂ぼこりの舞う音、馬車同士がぶつかって壊れる音だけを流すノンストップアクションだ。各馬車が複雑な動きをしてもいま何が進行しているのかをわかりやすいようにデザインされた配置、カメラワークに場所ごとの色分け。たとえばベン•ハーは白馬を引き、メッサラは真っ黒の馬車など、キャラクターに合わせて単純な色分けがされている。綿密に計算された上での大胆なレース。言葉ではうまく表現しづらい。ただただ息を飲むだけ。緊張と興奮が一気に押し寄せ、映画の世界に没入してしまう。これだけの映画体験を大スクリーンで堪能できた当時の観客が羨ましい。歴史に残る名シーンというフレーズもこの場面の前では全く陳腐にならない。この作品にかけられた情熱と努力を考えれば、後世の人たちに見てもらわない手はない。ホントにクラクラするぐらい面白かった。
 
 この映画は冒頭に述べたように、ナザレのイエス=イエス•キリストの人生が物語全体にがっちりはめ込まれている。4時間もあるこの映画のラストは、親友メッサラの裏切りで洞窟に幽閉され、らい病にかかってしまったベン•ハーの母と妹がキリスト復活の奇跡をうけて全快するというものである。正直、そんなのアリ?と思わなくもない。あまりに雑でお粗末なものと解釈する人がいてもおかしくない(ことし公開のリメイク版はこのラストを踏襲するんだろうか)。
 
 だけど、先ほど述べたようにこの映画はキリスト教映画だ。4時間もかけてこんなオチになってしまったのは、この映画がキリスト教の基本理念「赦し」だからだと思う。ベン•ハーはユダヤ教徒の名門家出身だったが、出世欲にのまれてすっかり変貌してしまった大親友メッサラに裏切られ、奴隷に身を落としてしまう(海戦での大活躍等が認められ、彼はのちにイスラエルに戻ってくる)。彼の母と妹はベン•ハー追放の巻き添えを食らって檻に入れられ、挙句らい病にかかって洞窟に閉じ込められる。割と最近までらい病は感染病だという迷信が広まっていたので、彼女たちは街から隔絶されたところに追放されていたのである。俗欲に溺れ、ユダヤの神を信じないメッサラのせいでベン•ハーたちの人生はメチャクチャになった。だけどベン•ハーはメッサラを赦す。競馬場での死闘の末、彼は怒りを胸にローマを去るが、親友をこれ以上責めるようなことはしなかった。最終的にベン•ハーは当時評判になっていたキリストの奇跡を頼ろうとする。しかし、彼に会おうとしても影したのはキリストが磔になる場面。ベン•ハーはキリストに水を飲ませた時に気づく。この男が船で自分を助けてくれた人だと。処刑を目の当たりにして意気消沈のベン•ハーは家族の元に戻って奇跡が起きていたことを知る。母と妹はらい病が完治していたのだ。
 
 ベン•ハーはメッサラを赦し、神もまたメッサラを赦した。この「赦し」こそまさしくキリスト教の基本教義の形なのではないか。宗教的造詣は深くないのであまり詳しくは触れない。しかし、この映画がキリスト教の「赦し」を描こうとした作品なのだと考えれば、すべてに合点がいく。そういうあらすじが好みかと言われるとハッキリ肯定もできないが、この大スペクタクル映画の底にあるのはキリスト教的な幸せの表現なのかと思うと興味深い。そして全体的に神秘的な雰囲気が漂っていて不思議な余韻も残った。英雄が一度追放されてまた戻ってくるところなんてギリシャ神話のオデュッセイアのようだし、神話らしさも物語の構造から見出せる。この映画を体験することに損は全くないと言い切れる作品だ。

10 クローバーフィールド•レーン / ネタバレ厳禁の監禁スリラー

パラマウントピクチャーズ ホラー SF 洋画 サバイバル 密室スリラー クローバーフィールド 10 クローバーフィールド•レーン JJエイブラムス メアリーエリザベスウィンステッド ジョングッドマン 宇宙人

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「10 クローバーフィールド•レーン」とはとても不思議なタイトルである。どうやら「クローバーフィールド」とは関係がありそうではあるけど…続編なのか、それともNYのあの惨劇と同時進行で起きた出来事なのかはわからない。あの巨大モンスターは出てくるのか、もしかしたら全く関係のない話なのかもしれない。その全貌がほとんどが謎に包まれたミステリアスな作品。US版のティザートレイラーが公開されて以降、全く情報をシャットアウトして鑑賞に挑んで正解だった。賛否両論分かれているようだな、自分はたくさんの驚きと興奮に満ちた映画だと思う。いつも通りネタバレ全開なのでこれからみようと考えているひとは注意してください。

 

恋人との喧嘩で家を飛び出したミシェルは、夜道を車で走っている最中に事故に遭い、気を失ってしまう。目を覚ますと地下室に監禁されている。脚は怪我をしていて、鎖で壁に繋がれている。脱出を試みるとやってきたのはハワードを名乗る大柄の男性。彼曰く「外の世界は謎の襲撃を受け、人類は滅亡した」らしい。外気は毒に満ちているから、絶対に地下室から出てはならないとのこと。怪しさ全開のおっさんに警戒感丸出しのミシェルだったが、もうひとり同居人がいることに気づく。彼の名はエメット。右腕を負傷している。元海軍で終末思想に取り憑かれたハワードの依頼を受け、地下シェルターを作り上げた張本人である。空に光る巨大な閃光を目の当たりにし、エメットもまた世界の滅亡を予感、この家に転がり込んできた。3人の奇妙な同居生活が始まる。

 

ここまでの断片的な情報から得られるのは(ハワードとミシェルを信じれば)どうやら「クローバーフィールド」との関連性はありそうだということ。しかもNYの事件とほぼ同時進行らしい。宇宙からの襲撃を受け、世界(規模はわからないけど少なくともアメリカ国内)は甚大な被害を受け、大混乱に陥っている。だからここにいる3人は運良く地下シェルターに逃げ込み、生存できているというわけ。しかしハワードがひたすら胡散臭いので信頼する気には全くならない。ミシェルとエメットには保護していることへの感謝を過剰に求める。助け出したわりには、かなり抑圧してくるし支配的だ。普通だったら平等に協力して生存しようとしそうなものだが、ハワードはあくまで二人をコントロールしようとする。疑問だらけで物語は進行するものの、逃げ出そうとしたミシェルが扉の外でケロイドまみれの女性が息耐えるのを目撃することで、ハワードが嘘をついているわけではなさそうだとわかる。外は危険らしい。

 

そして徐々にシェルターで過ごすことにも慣れた3人の生活は徐々に安定感を増してくる。一緒にテレビを見て時間をつぶしたり、パズルを解いてみたり。なんだかのんびりしてしてきたなと思ったら、こんどはハワードの秘密が発覚する。彼は娘と同年代の少女を監禁し、殺害するサイコパスだったのである。これまでミシェルとエメットにしてきた仕打ちや態度にも合点がいく。そうなると本当に襲撃を受けたのか、外は危険なままなのかも自信がなくなってくる。

 

ここらへんの塩梅がとてもうまい。観客は「クローバーフィールド」との関連性を探りながら本作をみている。だからハワードが単なるサイコパスだった場合、外の状況がどういったものであるのかはいよいよわからなってくる。彼が本当のことを言っているのか、それとも監禁の口実を作るために嘘をついているのか。ミシェルと一体化して謎に挑むドキドキが楽しい。

 

シェルターを脱出する作戦はハワードにあっさりバレてしまい、ミシェルをかばうため嘘をついたエメットは銃殺されてしまう。いよいよ仲間がいなくなったミシェル。ハワードは「俺たちで幸せな家族を作ろうな」と変態丸出しの発言。彼がミシェルを狙ったかどうかは不明だが、とにかく事故後に彼女を見た彼が監禁を思いつき、二人で暮らし続けることを計画していたのは事実のようである。 シェルターで太ったオッサンと暮らすよりカーテンで作った防御服で外に飛び出した方がマシだと決心したミシェルはハワードを襲い、命からがら地上に飛び出す。と、ここまでは密室スリラーのお手本のような展開。しかしここから予想もしない超展開を迎える(しかし日本版ポスターはこの核心部分をアッサリ載せてしまっている。なぜだ)

 

地上に逃げ出したミシェルが目の当たりにしたのは、奇妙な形をしたクリチャーたち。ハワードの予想はだいたい当たっていて、どうやらアメリカは宇宙人の襲撃を受けて大変なことになっていたらしい。そしてやはりこの作品が「クローバーフィールド」のアナザーストーリーであることも発覚する。地下室のサイコパスの魔の手から逃げたミシェルに追い打ちをかけるように現れた宇宙人。彼女からすれば災難以外の何物でもない。ここまできて死ぬわけにはいかないと必死に宇宙人や宇宙船と戦うミシェル。面白いのは、彼女があの手この手で手元にある道具を使って機転の効いた対応をすることである。地下シェルターでも服飾デザイナーのスキルを生かして防御服を裁縫していたが、こんども車の中にあるライター、新聞紙、ビール瓶を素材に爆弾を作って巨大な宇宙船をひとつ撃破している。このDIY精神がジャッキーチェンのアクションのようなパズル的楽しさをかきたてる。

 

「お前らこれが見たかったんだろ」と言わんばかりの取って付けたようなトンデモクライマックスには驚愕するが、その締めは新たな物語の幕開けを予感させる洒落たものになっている。宇宙人のアタックをかいくぐり、とにかく身の安全を確保できる場所にと車で旅立つミシェル。カーラジオからは二つの情報が流れる。ひとつは、米軍が宇宙人から奪還し、数多くの生存者がコロニーを形成している地域の情報。もうひとつは、米軍と宇宙人が激しい攻防を繰り広げ、戦闘経験や医療経験のある人間の助けを求める地域の緊急情報。ミシェルは一瞬戸惑いを見せるが、ギアを切り、車をバックさせると、戦闘地域へと進路を切り替える。一度は地獄を経験した彼女は、さらなる戦いの地へと足を踏み入れるのである。ミシェルの勇気ある決断が爽やかだが、同時に、このラストはNYの大惨事や地下室のミシェルなど、この世界では宇宙人の襲撃をめぐって様々なドラマが繰り広げられているんだという奥行きを感じさせるものになっている。宇宙人の襲撃で困っている人がまだ街に残されている。ラジオのニュースを通じてその報せを受けたたくさんの人々が団結してこれから壮絶なバトルを繰り広げるのだと思うと、胸が熱くなる。名前もなき一般人たちの共闘への予感という非常に燃えるラストと言える。

 

地下シェルターと世紀末(最後の審判)。核戦争の恐怖に怯えてきた過去を持ち、クリスチャンがとても多いアメリカらしいテーマであろう。絶望と希望がハイスピードで交差する最高のエンタテイメントであった。